多摩麻生支部壮年部
三厨基至さん
大空の道場
高校時代、大空を眺め、航空機パイロットを夢見て毎日多摩川で航空無線機を片手に旅客機の交信を傍受していました。
昭和49年、大学を中退して念願の旅客運輸航空会社に操縦士として採用されました。無事に訓練を終了し、昭和54年に副操縦士発令。YS-11に始まり、ジャンボ機、最後はB‐777で定年を迎えました。
国内線を経て昭和62年から国際線乗務。欧州・東南アジア・中国・韓国・ロシア・オーストラリア線に従事。40歳でジャンボ機の機長に。ご存知のように旅客機はお客様の命を守る事を第一優先に取り組んで運航しています。時速1000㎞、高度1万m、外気温マイナス58度の環境下で瞬時の判断が求められます。ですから医師と違い国家試験に合格しても、定年まで年2回の更新国家試験に合格して能力・技量を保ち安全運航を維持しています。国家身体検査も年2回あり、不合格になると乗務停止、厳しい状況の連続でした。
自動車の普通運転免許を取得すると、車種には関係なく車を運転できますが、大型旅客機の航空免許は機種毎に国家試験に合格して、取得した機種のみ操縦が可能になります。ですから他機種では計器・スイッチの配列や性能も違い、エンジンの始動すら出来ません。この様な環境下で仕事をまっとう出来たことは、何事にも代えがたい『縁』を頂いたからでした。
開祖さまご著書との出遭い
48年前、既に佼成会に入信していた母の部屋から、1冊の本を持ち出し羽田に向かう南武線の車中で読み始めた瞬間、「何だ?これは宗教の本ではないか‼」と後悔しましたが、仕方なく読み始めてみました。最初の数ページは意味も分からず読み続けると、『因縁果報』を丁寧に分かり易く解説されていて、気づいたら数十ページを超えていました。突然、何故か身体が震え始め、自分でも驚きと、強烈な衝撃を受け、呆然と『因縁果報』の教えに浸っているうちに、川崎駅に到着。私の人生を変えた本とは、開祖さまのご著書でした。開祖さまが描かれた絵もふんだんに掲載され、開祖さまの「慈悲心」を感じました。
『因縁果報』のたった一つの法門が、パイロットとしての職業、大自然や乗務員との人間関係、家庭や社会生活に「根幹」を与えて頂き、羅針盤として導いてくれたのです。私の導きの親は開祖さまです(ご著書を購入してくれていた両親はもちろんですが…)。今日までそのご恩に恥じないよう、自分を戒めて歩ませて頂いてきました、今の自分と家族が存在しているのも、開祖さまの1冊の本から発しています。
合掌