「如是我聞(にょぜがもん)」という言葉があります。仏教のお経の書き出しの言葉です。「かくのごとく私は聞きました」という意味で、仏教が口伝で伝えられてきた名残なのでしょう。仏教に興味を持ったボクは、ボクが仏教の師匠と仰ぐクボタさんから、お釈迦さまが直接説かれたという「根本仏教」のお話を聞いて、聞きかじったことをここに記して行きたいと思います。
第二話 お釈迦さまは何を悟られたのか
自らを灯明とせよ、法を灯明とせよ
前回、仏道修行の目的は「本当の幸せ」を得るためと学びました。でも、幸せになりたくない人は多分居ません。私たちは幸せを夢見ていろいろなものを手に入れようとしゃかりきになっています。
例えば、人生のパートナーが居れば幸せだろうと思い、結婚相手を探して結婚してみても、パートナーが自分の思い通りになってくれないと、幸福感は消えてしまいます。子供ができれば幸せになれると考えますが、思い通りに育ってくれないと、やがてその子供が頭痛の種になったりします。家を持てば幸せになれると思い、無理をして家を買ってみれば、そのローンに苦しめられたりするわけです。クボタさんは「手に入ったものが多ければ多いほど、苦が増えてくる」といいます。まさにその通りだと思いました。
仏教には「自灯明」「法灯明」という教えがあります。お釈迦さまがお亡くなりになる直前のこと「お釈迦さまが亡くなられたとき、後は何を頼りにすればよいのか」と問う弟子のアーナンダに対し、「アーナンダよ、汝らは自らを灯明とし、自らをよりどころとして、他のものをよりどころとせず、法(真理)を灯明とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとすることのないように…」と訓戒されたそうです。
自らをより所とせよ、と言われても自分には頼りになる自分と、頼りにならない自分があります。欲によって理性が飛んでいってしまって、判断を誤ってしまうことも度々です。そんなときのために法(真理)をよりどころとしなさいと教えていただいているのです。それでは、お釈迦さまのおっしゃる「法(真理)」とは何なのでしょうか。
「法(真理)」とは何か?
根本仏教の中でお釈迦様が説かれた教えとはこの「法(真理)」です。これを様々な角度から、様々なたとえ話を交えてわかりやすく説かれたのです。
実は真理には4つの条件があります。とクボタさんは言います。
①論理性=話に筋が通っていること
②客観性=誰かの主観という思い込みでは無いこと
③具体性=抽象的ではなく生活に活かせること
④普遍妥当性=いつでも、どこでも、誰にでもあてはまること
誰が見ても聞いても、その通りだと納得できなければ真理とは言えません。ボクが仏教に魅力を感じているのも、ここにあります。理路整然とした教えで、本質を突き、ボクのような疑り深い人間の頭で考えても、理解し納得できる教えなのです。
そして、クボタさんはお釈迦さまが悟られた真理を体系立てて説明してくれました。
お釈迦様が悟られた真理とは…
①すべての現象(存在)が備えている「性質」
これに当てはまる教えの一つ目が「無常」、すべてのものは変化し続ける、ということです。二つ目の教えが「苦」、全てのものは苦である、ということです。そして三つ目の教えが「無我」、ひとつとして単独で存在するものは無く、すべてのものは関係している、ということです。②すべての現象(存在)に当てはまる「法則」
これは「縁起」という教えです。③すべての現象(存在)に対する「問題解決法」
これは「四諦」という教えを中心に、行動としての「八正道」と「六波羅蜜」の教えです。
例えば真理の一つ「無常(変化)」について考えてみましょう。人は生まれてすぐに老化が始まります。子供の頃は成長として前向きに捉えますが、ある程度の年齢になると老化として忌むべきものになってしまいます。老化していく自分を見て嬉しい人はあまり居ません。アンチエイジングなどと言って抗ってはみるものの、長い目で見ればやっぱりそこから逃れることは出来ず、老化したくない心から「苦」が生じます。
しかし、「無常」という真理を受け入れることによって、自分自身が老化したくないという心から解放されれば、「苦」はなくなります。実際はこんなに単純では無いかも知れませんが、老化していく自分にくよくよ悩むより、今を精一杯生きようとした方がきっと幸福感を得ることはできるはずです。
と言うわけで、次回から根本仏教による法(真理)の「性質」と「法則」と「問題解決法」を学んでいきます。最初に学ぶのは「無常」についてです。それでは次回をお楽しみに…
最後にボクがクボタさんから聞いた内容のメモを添付しますので、興味がある方は参照してください。
川崎西支部 壮年部 大久保善尉