かわかぜ

令和5年2月号

「楽しいご法の習学」より 我汝を軽しめず

第14回

講師 石川嘉一

仏さまの説法を聞くには、話の本質に耳を傾ける

二月はお釈迦さまの涅槃会の月です。

庭野日敬平成法話集『我汝を軽しめず』」(68ページから)の中で開祖さまは、「お釈迦さまはこの二月十五日に、クシナガラの沙羅双樹の下で涅槃に入られました。けれども、『久遠実成の本仏』として永遠に生きておられ、いまでも常に私たちに法を説いてくださっていることが、法華経に説かれています。

そういう仏さまの説法を聞かせてもらうにはどうすればいいのかということですが、法華経の『如来寿量品』にあるように、『質直にして意柔輭に』なることです。私たちは実際にお釈迦さまのお姿を拝むことはできませんが、日常生活のなかでふれあう方々の言葉に素直に耳を傾けていくことが、仏さまの説法を聞かせてもらうことにほかならないのです。

『質直』をわかりやすくいえば、正直、素直ということです。『柔輭』はそのまま『柔軟』と同じで、心が柔らかで、なごやか、おだやかなことです。出会う方に対していつも正直に、なごやかに、楽しく話していけば、相手も心を開いて、何でも話してくれます。こうして本音で話し合えば、お互いに納得ができて、話が弾みます。お互いに善意で出会うのですから、相手を疑うこともないのです。

世間には話し上手の人はたくさんいますが、私はむしろ、聞き上手になってほしいと思います。聞き上手の人は、相手の話すことの本質に耳を傾けられる人です。相手がこちらのためを思ってほんとうのことをいってくれるのですから、それをまっすぐに聞くとたちまちに、仏さまから大きなご守護がいただけるのです。それが、聞き上手の功徳です。

相手の話の本質に耳を傾けるというのは、相手の慈悲心から出る言葉を耳にとめるということです。それは、どんな言葉であっても、仏さまの大慈悲心が、その人の口をとおしてあらわれたものと受止めることです。そのようになれば、どんな言葉もありがたく受けとめられます。それが聞き上手ということなのです」と開祖さまは教えてくださいます。日々の家族の言葉や触れ合う人の言葉を通しても、仏さまは説法してくださっているということを開祖さまから教えて頂きました。

相手の幸せを願えば

そして開祖さまは、「よい出会いを作るためには、相手の話を素直に聞くことが第一ですが、自己主張の強い人は、人に何かいわれると、すぐに言い返したい気分になるようです。相手がおだやかに話してくれるうちは素直に聞けるのですが、ときどき耳が痛い言葉も聞かされることがあります。人から批判の言葉を聞かされると、そのときはカッとなります。けれども、よく考えてみると、自分には確かにそういう面があって、そういう批判の言葉を口にする相手もつらかっただろうな、と思いあたります。『それをあえていってくれるのだから、ありがたいお慈悲だな』と感謝でき、合掌できるのです。常にそういう聞き方をしていくようにつとめていくと、何ごとにつけ、相手の言葉をとおして仏さまの教えを聞けるようになっていくのです。

話し上手よりも聞き上手が大事なのは、法座でも同じです。法座主の方が『私は説くのが得意だから』と、こと細かに教えを説いても、聞くほうでは『自分には当てはまらない』と思うこともあるものです。むしろ聞き上手になって、法座に座る方たちの悩みを親身に聞かせてもらうようにすると、本音がスラスラと出てくるものです。自分の悩みを正直に話せると、法座の空気がなごやかになって、その悩みを解決できる法座になっていくのです。

幹部さんたちにしても、『私が結んであげる』という構えた気持ちを捨てて、相手の話にうなずきながら耳を傾けると、仏さまから智慧を授かって、自分が考えてもみなかった言葉がスラスラと出てくる、という体験も多いはずです。やはり、まず相手の言葉を素直に、おだやかに受けとめて、相手の幸せを願う出会いを重ねていくことが、仏さまの言葉を聞かせてもらうことになるのです。

授かっている仏性で聞く

(中略)
人間には、相手の言葉を拒もうとする気持ちもあるのですが、それを素直に受け入れようという具合に一念を変えていくと、一つ一つの関係が『対立』から『和』のほうに、『協調』のほうにと変わっていくわけです。私たちは『仏性』という尊い宝を授かっています。『仏性』というのは、まわりに悩んでいる人がいれば、その人の悩みを聞いてあげたい、一緒に解決の道を求めていきたいという気持ちです。『私が、私が』という自己中心の気持ちを、人さまの話に耳を傾ける『仏性』のほうに切り替えていけば、まわりの世界がすっかり『仏の世界』に変わっていくのです」と開祖さまは、「まず人さま」という思いやりの心の大切さを教えてくださいました。

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