第16回
講師 石川嘉一
どんな道を歩めばいいか
法華経は最上の道
新年度がスタートして、多くの方々が新たな道を歩み出されたことと思います。「庭野日敬平成法話集『我汝を軽しめず』」(127ページから)の中で開祖さまは「道」について次のように述べておられます。「道というものは、目的地にまっすぐ着くのに便利なようにつくられています。しかも、一本だけでなく、いろいろな道が通じています。ドライブや山登りをするときに、いくつかのコースから好きな道を選ぶことも楽しみの一つでしょう。人間としての道も同じで、私たちが人生をより豊かな心で歩くのにも、さまざまなコースを選ぶことができます。
たとえば、書道や茶道、柔道、剣道といったさまざまな『道』も、その一つです。そういう『道』の場合も、初めは作法や技の習練を目的として入るのでしょうが、行き着くところは、その人の人間性を向上させるための修行であると思います。私たちにとっては、お釈迦さまの説かれた法華経が、『無上道』ということになります
人間として正しく生きていくうえで必要な心構えが示された、いわば人間として踏み行うべき最上の『道』です。『このとおりに行って、みんな幸せになりなさい』というお手本が、法華経なのです。法華経には、『人はだれでも慈悲心をもっていて、その慈悲の心でまわりの人に接していくことで幸せになれます』『縁ある人の仏性を礼拝することで、その人とともどもに幸せへの道を歩いていけるのです』ということが、明確に示されています。つまり、常に人さまの利益を考えて行動すれば、だれでも幸せになれることが説かれているのです。ですから、法華経のとおりに実践すれば、『疾く仏道を成ぜん』(常不軽菩薩品)というように、まっすぐに『仏』になれるのです」と開祖さまから教えて頂いて、私たちは今日まで「まず人さま‼」という思いを大切にしながら生活をして参りました。
道を知って道を行く
続けて開祖さまは「立正佼成会に入会すると、ご先祖さまへのご供養や親孝行の実践を、まず教えてもらいます。これは、人間として踏み行うべき道であり、昔から多くの人の心に受け継がれてきた大事な道です。こうした、ごく当たり前のことを実践していくなかに、仏さまと同じ境地になれる道が開かれているのです。
ところで、ご法のありがたさがわかっても、『道を知らずに道を行く』のでは十分ではありません。自分はどういう道を、どこへ向かって歩いているかを人さまにお伝えすることができないと、困っている人や苦しんでいる人を見ても、幸せへの道を示してあげられないからです。在家の生活では、さまざまな出会いのなかで愛着心や欲望にとらわれることが多々あります。自分の才覚だけで仏道を歩もうとしても、間違った方向に進まないともかぎりません。自分中心の狭い見方では、まわりが見えなくなって、とんでもない横道に入りこんでしまうこともあるものです。ですから、『四諦』『八正道』『六波羅蜜』など、お釈迦さまが説かれた法門をよく学んで、一日一日の心と行いをととのえていくことが大事なのです。それが、『道を知って道を行く』ということです。
『八正道』の『正見』『正思』『正語』という教えも、いつも正しい見方をして、正しい考え方、正しい話し方を心がけていると、気持ちが少しも揺らぐことなく、じつにすがすがしい思いになるものです。『六波羅蜜』の最初にあげられている『布施』も、相手に喜びを与え、相手を幸せに導くための実践です。私たちに授かっている『仏性』は、世のため、人のためにわが身を使わせていただくことで、どんどん光を増していくのです。私はいつも、『自分が変われば相手が変わる』といってきました。これも、人間関係の多くの問題は、まず自分が相手の役に立とうとするときに、鮮やかに解決していくからです。
そして、『その喜びを多くの人にも味わってもらいたい』という思いが湧いてきて、会う人ごとに声をかけてみたくなります。そして、相手がこちらの熱意を受けとめてくれると、仏さまの『法』が生きていることが実感できます。そこでますます喜びが増し、『もっと仏さまの教えを広めていこう』と、楽しく精進できるのです」と開祖さまは教えてくださいました。開祖さまからいつも、「素直」で「正直」で「感謝」の心で生活をしている人は、救われていくのが早いと教えて頂いて参りました。教えて頂いたことを「素直」に受けとめさせて頂き、「喜んで」実行させて頂きたいと思います。